日立電鉄モハ13タイプ

更新:2024/5/26

作者:RRマイスター

(1)日立電鉄の沿革

日立電鉄線は鮎川‐大甕‐常北太田間18.1kmの軌間1067mm,直流600V電化路線で,1928年12月27日に常北電気鉄道として大甕‐久慈(久慈浜)間が開業,1944年に日立電鉄線となりました。大甕~常北太田の開業にあわせて木造単車デハ1~6が運用され、その後戦時中に激増した工員輸送のためモハ9型(9・10)が戦後の混乱期にモハ11型(11・12)が増備さ れました。自社オリジナルの電車はこの10両が全てで、鮎川への路線延伸や高度成長期の旅客増に対応するための増備には各地から様々な経歴の 電車が集められました。
当時1947年までに全線開業しました。2005年4月1日に廃止されています。

(2)モハ13形の登場の様子

日立電鉄モハ13形は、神中鉄道(現在の相模鉄道)が1935年(昭和10年)に製造した電気式のディーゼルカー「キハ1000形」でしたが、1943年(昭和18年)に電車化した車両で、東急を経て1948年(昭和23年)に日立電鉄に譲渡されました。

(3)モハ13形車輌のデザイン的な変遷

この車両が製造された昭和10年当時、世界的に工業デザインでは流線型がブームとなっていて鉄道車両でも国鉄モハ52形やC53 43号機、愛知電気鉄道(名鉄)3400形など多くの流線型的なデザインの車両が生み出されましたが、このキハ1000形も前面が傾斜したデザインを採用していました。連結運転時の総括制御が可能な電気式が我が国で初めて採用され、車体形状はユニークな 六角の梯形で他に類をみない独創的なスタイルでした。当時「三角電車」と呼ばれ利用者に親しまれました。モハ13形は1965年に素っ気無い切妻形状に改造されました。モハ13形は13‐16の4両あり,奇数車モハ13・15は鮎川側に貫通路を持ち,偶数車モハ14・16は常北太田側に貫通路を持っています。同一形式でわざわざ貫通路の向きを分けて2両ずつ用意している割には貫通路がないのは結局単行運転使用がメインとなってしまった事が理由の一つなのでは無いでしょうか?  

モデルはあまぎモデリングイデア「日立電鉄モハ13タイプ」のベースキットです。車体はハンダで組み、動力ユニットはトミーテックTM22です。

 

パンタグラフはトミックスPS13を搭載。シールドビームレンズと運転室のワイパーはタヴァサ製。ガーランドベンチレーターと床下機器とカプラーはGM製です。

車体はオレンジとクリームの2色塗り分けです。屋根はダークグレー。ベンチレーターは灰色9号。Hゴムは黒、窓サッシは銀です。キシャ会社の車番、所属標記を組み合わせてそれらしく使用しました。

バンタへの配管はランボード脇とバンタフレームが別体になっています。

 
床下機器はグリーンマックスの旧型国電の小型用床下機器を加工しました。連結器はGM自動連結器をΦ1.4mmビスで取り付け、台車は鉄コレのボールドウィンタイプを取り付けました。時代的には1965年以降のモデル化です。床塗装は黒色。
尚小モデルをお求めの方に「日立電鉄モハ13,15点描」(1980年5月4日撮影)と題したオリジナルミニアルバムを差し上げます。