1930(昭和5)年、新潟鉄工所で新造された鶴見臨港鉄道モハ105が前身です。1940(昭和15)年にモハ115に改番しその後は国鉄に買収されて富山港線で活躍1949(昭和24)年3月に廃車になりました。1951(昭和26)年銚子電鉄で復活しましたがその際に「デハ301」に改番しました。集電装置をパンタグラフからポールに変更。銚子電鉄最大にして唯一の3ドア車で、主力車として活躍を開始しました。1966(昭和41)年に集電装置を ポールからビューゲルに変更し、1984(昭和59)年に台車もボールドウィン(汽車BW78-25-A)から日車D-16に履き替えました。1990(平成2)年にパンタグラフ(PS13形)に 変更。銚子電鉄の車輌は塗装変更を行ってデハ301も同様に変更されました。2007(平成19)年頃まで旅客営業を続けてきましたがその後は屋根上に作業台を取り付けて架線工事用車両として使用されました。2009(平成21)年車輌交代の為に解体されました。